「1億円で譲渡できた」という話を聞いたとき、その経営者の手元に1億円が入ったわけではありません。
譲渡価額から差し引かれるものがあり、しかもどの手法を選ぶかで、差し引かれる額が大きく変わります。同じ1億円でも、手元に7,000万円残る場合と5,000万円台になる場合があります。
本稿では、譲渡価額と手取りの間に何があるのかを整理します。
差し引かれるものは4つある
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 税金 | 手法によって課税の相手と税率が変わる。最も大きな差が出る項目 |
| アドバイザー報酬 | 仲介手数料・FA報酬。譲渡費用として税務上も控除できる |
| 借入金の処理 | 経営者保証付きの借入をどう扱うか。株式譲渡なら会社に残るが、保証の解除が論点になる |
| その他の費用 | デューデリジェンス対応、司法書士・行政書士への報酬、印紙税など |
このうち税金の差が、最も大きく手取りを左右します。
株式譲渡:オーナー個人に20.315%
株式譲渡では、株主が保有する株式を譲受側に売ります。対価を受け取るのは会社ではなく株主本人です。
個人株主の場合、譲渡益に対して所得税15%・復興特別所得税0.315%・住民税5%の合計20.315%が課税されます。給与などと分けて計算する申告分離課税なので、譲渡益が大きくても税率は一定です。
譲渡益の計算
譲渡益 = 譲渡価額 −(取得費 + 譲渡にかかった費用)
取得費とは、その株式を取得したときの金額です。創業者であれば設立時の出資額がこれにあたります。取得費が不明な場合や、譲渡価額の5%を下回る場合は、譲渡価額の5%を概算取得費として使えます。
1億円で譲渡した場合の試算
資本金1,000万円の会社を創業したオーナーが、株式を1億円で譲渡し、当社に最低報酬1,500万円をお支払いいただいた場合です。
| 譲渡価額 | 10,000万円 |
|---|---|
| 取得費 | − 1,000万円 |
| 譲渡費用 | − 1,500万円 |
| 譲渡益 | 7,500万円 |
| 税額(20.315%) | − 約1,524万円 |
| 手元に残る額 | 約6,976万円 |
譲渡価額の約70%が手元に残ります。株式譲渡は課税が一度で完結するため、手取りの計算が単純です。
事業譲渡:会社に法人税、そこから個人へ移すとさらに課税
事業譲渡では、会社が事業に関する資産・負債を選んで譲受側に売ります。対価を受け取るのは会社(法人)です。オーナー個人には直接入りません。
会社が受け取った譲渡益には、法人税等が課されます。実効税率は会社の規模や所在地により、おおむね30〜34%程度です。
同じ1億円でも手取りが変わる
譲渡資産の簿価が2,000万円、実効税率を33%とした場合です。
| 譲渡価額 | 10,000万円 |
|---|---|
| 譲渡資産の簿価 | − 2,000万円 |
| 譲渡費用 | − 1,500万円 |
| 事業譲渡益 | 6,500万円 |
| 法人税等(33%) | − 約2,145万円 |
| 会社に残る額 | 約6,355万円 |
ここまでは会社の中の話です。この約6,355万円を、オーナー個人が受け取るには、もう一段階の手続きと課税があります。役員退職金、配当、役員報酬のいずれかの形で移すことになり、それぞれに所得税・住民税がかかります。
この二重課税の構造があるため、オーナー個人の手取りだけを比べれば、株式譲渡のほうが有利になりやすいと言えます。ただし事業譲渡には、簿外債務を引き継がない、譲渡する事業を選べる、繰越欠損金と相殺できるといった別の利点があります。手取りだけで決める問題ではありません。
消費税の扱い
事業譲渡では、譲渡する資産のうち課税資産(棚卸資産、建物、機械装置、のれんなど)に消費税がかかります。土地や債権は非課税です。
実質的な負担者は譲受側ですが、譲渡側が受け取って納付する立場になります。資金の動きとしては一時的に手元に入るため、納付の時期を見落とすと資金繰りに影響します。株式譲渡では消費税は発生しません。
建設業で、譲渡価額そのものが動く論点
ここまでは手法による税務の違いです。建設業の場合、それ以前に譲渡価額の算定で独特の論点があります。
未成工事受入金は負債として扱われる
工事の前受金は、貸借対照表上は負債です。手元に現金があっても、それは工事を完成させる義務と対になっています。譲渡価額の算定では、この負債分が差し引かれます。
「決算書上は現金が多いのに、評価が思ったほど高くない」という場合、この構造が理由になっていることがあります。
完成工事未収入金の回収リスク
売掛金のうち、回収が長期化しているものや、相手先の信用に不安があるものは、デューデリジェンスで指摘されます。評価額から減額される、または表明保証の対象になることが一般的です。
工事の進捗に応じた収益計上
長期の工事で、進捗度に応じて売上を計上している場合、進捗の見積りによって各期の利益額が変わります。見積りの妥当性が、そのまま企業価値の妥当性につながります。ここが説明できないと、譲受側は保守的な評価に寄ります。
なお「工事進行基準」という会計基準は、令和3年4月以後開始する事業年度から適用される「収益認識に関する会計基準」への移行に伴い、形式上は廃止されています。ただしこの基準の強制適用は上場会社・大会社に限られ、中小企業は従来の処理を継続できます。進捗度に応じて収益を認識する考え方そのものは、新基準にも引き継がれています。
経営者保証付きの借入
株式譲渡では借入金は会社に残りますが、経営者保証はオーナー個人に付いたままです。譲渡と同時に保証を解除できるかどうかは、金融機関との交渉事項です。解除されなければ、会社を手放したのに保証だけが残ります。
この点は譲渡価額に直接は現れませんが、オーナーにとって実質的な手取りに等しい重みを持ちます。
手取りは、正当な方法で変えられる
税負担を軽くする方法はいくつかあり、いずれも制度に基づいたものです。
- 取得費を正確に把握する。増資や株式の買い集めの履歴があれば、取得費はその分だけ大きくなります。古い記録が残っていないケースが多く、確認すれば手取りが増えることがあります。
- 役員退職金を組み合わせる。退職所得には勤続年数に応じた控除があり(勤続20年以下は40万円×年数、20年超は800万円+70万円×超過年数)、控除後の額をさらに2分の1にして課税されます。他の所得と分離して計算されるため、事業譲渡で会社に残った資金を個人へ移す場合、この方法が有力です。ただし役員としての勤続年数が5年以下の場合、2分の1課税は適用されません。第二会社方式などで新設した会社から退職金を出す場合は、この点に注意が必要です。
- 実行時期を調整する。繰越欠損金がある年度、大きな損失が出る年度に合わせることで、法人税の負担を抑えられる場合があります。
- 手法そのものを設計する。会社分割で対象事業を切り出したうえで株式譲渡する、といった組み立てにより、事業譲渡の利点と株式譲渡の税務を両立させることも可能です。
いずれも、譲渡が決まってから慌てて対応できるものではありません。取得費の確認は資料の探索から始まりますし、退職金の設計には株主総会の決議と適正額の検証が要ります。実行時期の調整は、そもそも交渉の前に決めておく必要があります。
「いくらで売れるか」の前に、「いくら残るか」
ご相談の場で最初に聞かれるのは、たいてい「うちはいくらで売れますか」です。しかし本当に知りたいのは、その後に手元にいくら残るかのはずです。
譲渡価額が高くても、手法の選択を誤れば手取りは減ります。逆に、譲渡価額が想定より低くても、設計次第で手取りは変わります。両方を並べて比べなければ、判断はできません。
当社では、初回のご相談で企業価値の簡易算定を行うとき、譲渡価額の目安と同時に、手法別の手取り試算をお示しします。パートナー税理士が社内に在籍しているため、株価評価と税負担の設計を一体で組み立てられます。
譲渡するか、続けるか、清算するか。その比較も含めて、費用はかかりません。まずは現状をお聞かせください。
本稿の試算は、制度の理解を助けるための単純化した例です。実際の税額は、株式の取得経緯、会社の規模と所在地、その年度の損益、株主の構成など個別の事情により大きく変わります。具体的な判断は、必ず税理士にご確認ください。税制は改正により変動します(本稿は2026年9月時点の制度に基づいています)。